川島哲のキャストパーシャルの真実

第9回

昨年来「キャストパーシャルの真実」の連載が止まっていましたことを、興味のある歯科界の方々に、まずはお詫び申し上げます。

私が会長を務めます、(PSD)日本補綴構造設計士協会が一般社団法人に8月をもって、単なるスタディーグループから公益活動を義務とする団体に移行しました。

また、8月29・30日にKFCホールにてPSD協会20周年記念学術大会を成功させました。

それらの事で、時間を割いた点は正直否めません。

今後は淡々とアップいたしますし、多くの皆様が「キャストパーシャルの真実」という歴史認識を示しておくことは、とても良い事だとの声があることは嬉しい事です。

川島さんしかこのテーマでは書けないとの声は、私の背中を押してくれます。

この点は私がそれだけ年を取ったと言う事と思います。

日本歯研工業株式会社の鋳造床課に勤務し、同時に東邦歯科医療専門学校 歯科技工科に入学したわけですが、学生の分際でありながらアルバイトではなく準社員の扱いでの入社でした。

そもそも日本歯研への入社は、私の兄がもはや社員でありポーセレン課に在籍しておりそんな彼のアドバイスも有り、東京ドラリアムよりは集塵装置の環境が整備されてることが魅力であった。

設置されていた工業用のアマノの集塵機は巨大であり、確かに日本歯研の場合は作業環境はすこぶる良かった。

大塚昌助先生兼社長様には厚遇してもらい、今でも感謝している。

さて、前章で書いた事件とは次のような展開であった。

いつもの様にクルップ社のクルタニウムTiコバルト合金を研磨していいると、受注した症例をトレーにそれぞれ区分けしているが、生産工程表にナンバリングされてる番号が普段は連番なのに同じ番号を偶然発見したのである。

当時噂でしかなかったが、社内である人物が私的に自分の関係の金属床予定の臨床模型を会社に持ち込み、出来あがったら持ち去るという事を聞いたことがある。

連番を発見したのは、たまたま私だったが、この2つのトレーのどちらかが、その横領的な金属床と直感した。

そこで5円玉を取り出し宙に舞わせて、表だったら左のトレー、裏面だったら右とかけた!! なんと裏面とでたので、その金属床フレーム(ご縁のある)をゴミ箱に捨てやったのだ。

その日は何事も無かったが翌日ある上役が鋳造床課の各部屋を行き来してるではありませんか、そして暫くしてから囁くように私に、か か 川島君!!フレームが一ケース仕上がってないんだけど知らない?と聞いてきた。

当時クルタニウム床を研磨してるのは私だけなので、捨てた犯人は私だと多少は気が付いて聞いてきたのだから勇気を褒めよう。きっと何らかの事故だと思いたかったと思う。

今まで横領が上手く行ってたんだから、、、、OO上司に降りかかった青天の霹靂とは、こういう時に使うのかもしれない。

私はそ そ そうなんですか?そして大声で大々的に探しましょうと答えた。

上司はい い い いいからと、か細い声で言うと部屋に帰ってしまった。

その後、私は普段どおり研磨していたが、そろそろ技工学校の夜間部に行かなければならず席を立とうとしたら、向こうの部屋で寒天印象をしている姿を目撃した。

翌日は鋳造までご自分でされてたので、間違いなくあの金属床フレームがあの上司の私的な持込みケースと私だけに理解できた。

其の事件があった日から10日ほどのこと、その上司から川島君、君は設計を学びたいだろう、、、良かったらワックスアップも教えるから明日から私の部屋に来ないかなと、ささやかれた。

なんと、一生研磨で終わる人生が一変して設計やワックスアップまで学べるとは信じられない事が起きたのである。

翌日から自分の研磨が早めに終わると、設計室に出向き臨床ケースでサベヤーをいじっていたのである。

ワックスアップ室の連中が、なんで川島が!!あの部屋に出入りしてるのか、驚きの眼差しがとても面白かった。

そもそも研磨室の人達とワックスアップ室の人達とは仲が悪かった。何故ならば余分なワックスてんこ盛りの場合は研磨と言うよりも削り出すCAD-CAMのようで時間ばかりかかって困っていたからである。

数値化せずとも、せめて既成パターンの張り合わせの組み立て位はしなさいと思ったのは、この頃でもある。 つづく